株式会社チームクリエーションスタッフブログ

チーム創りと人材育成の株式会社チームクリエーションスタッフのブログです

管理者や指導者にも光を当てる

ここ数年、スポーツ界のパワハラが表面化し物議を醸しています。指導方法に関して「受け取る側が昔とは変わってきたんだなぁ」と感じると同時に、時代に合わせて選手との接し方を柔軟に変えていかなければならない指導者の苦労も顕著になったと感じます。

さまざまに形を変えて(無意識に)支配者と従属者という関係を作り出し、自分に忠実な人だけを従えて逆らえないようにする。一体なぜこうした構図が起こるのだろう?という点について、ある記事では同志社大学教授の太田肇氏が「承認欲求」という観点から論じていました。

スポーツ界では特に、指導者が「縁の下の力持ち」の役割を背負っていて、自分の存在を示す機会が乏しく、周囲からもそうあるべきと信じられている。でも指導者はもともと競技者として結果を残し脚光を浴びてきた人。指導者になった際、人がもともと持っている「認められたい」という欲求が鬱屈し、パワハラが生まれるのではないか、というものでした。

もちろん承認欲求以外にも組織の体質などが原因として挙げられるのでしょうが、この、人がもともと持っている「認められたい」という気持ちを、指導者はどのように満たせばいいのか?という疑問は個人的に興味深いな…と感じました。

 

組織の中での指導者は、プレーヤー、つまりスポーツ界で言えば競技者、仕事で言えば前線で働く人たちを育成し、プレーヤーが結果を残すことで評価されます。結果を出す人はあくまでもプレーヤー。花として脚光を浴びやすいのは当然プレーヤーの方です。

昔は一人ひとりの心の中に「先生のおかげ」「師匠がいたから」と指導者を称賛する心が当たり前のように備わっていたのかもしれません。でも時代とともに成果主義、結果第一主義へと変わっていき、いつの間にか指導者は「結果を出させて当たり前」という立場になってしまったのですよね。

結果を出させるのは当たり前、評価されるのはいつだってプレーヤー。

この状況で指導者は何を原動力に自分の職務を全うすればいいのだろう?と考えたとき、答えをなかなか見つけられずに鬱屈してしまう気持ちも理解出来る気がします。

 

だからと言って、安直に力で押さえつけようとするのは決して肯定できるものではありません。力で支配するというのは何も、パワハラ、モラハラ、セクハラ、マウンティング…こうしたわかりやすい形だけとは限りません。「あなたのためを思って」など下手から感情に訴えかけたりするのも実は支配。

もしかして自分も?!そう思ったら。
まずは「認められたい」という欲求を過度に押さえ込もうとしていないか、確認してみませんか?

無意識下にある欲求が満たされないからこそ、無意識にそれを満たそうとする力が働くわけです。そもそも「認められたい」という承認の欲求は誰もが持っているもの。指導者が評価されてはいけない(オモテ舞台に上がってはいけない)といった自分の中にある既成概念を一度疑ってみてもいいのでは?

 

そして、指導者も評価され、認められる環境を整えるのは大切だと思います。

優秀管理者表彰などはそのわかりやすい例かもしれませんが、それ以外にも管理職や指導者にこそ丁寧なケアを取り入れ仕組み化することで「結果を出させるのが当たり前」という空気を変えることができるのではないでしょうか。

指導者が認められ、受け入れられる環境が整えば、そこを目指すプレーヤーも出てくるでしょう。今の体質では「指導者なんてやるだけ損」みたいな空気を生み出しかねないですし、結果、指導の質が下がり、結果につながらないということは往々にして起きています。

ここまでくると組織全体の体質改善になりますね。

 

(伊藤)